住宅不動産業界 トップインタビュー〜住宅不動産業における優れた経営品質を追う〜

変革の時代を迎える住宅不動産産業界において、自社の持続的な成長を実現しながら地域社会に貢献する企業となるために、経営者はどのように考えどのような活動方針を持って経営に取り組むべきか。

住宅・不動産業界 商品サービス戦略

クリエイティブな挑戦を続け人と企業を成長させる 奈良県・クレイル

2000年の創業以来、常に業界内での差別化を意識する「異端児」発想で舵取りを

株式会社クレイル
代表取締役 堀田 誠 様

2000年12月の創業時は不動産仲介・管理事業を基盤にスタート、スタートから10年を経て、2012年には住宅建設事業に進出されさらに直近ではリノベーション事業にも進出を果たし、住まいの総合サービス化に向けた業態変革を短期間に整えたクレイル・堀田社長にお話を伺いました。

ビジョンも何も見えずに、ただ「継続したい」という思いだけで進んだ10年

創業3年で90%の会社は倒産するとも言われるほど企業の創業は厳しいと言われる中で、「10年は継続する」と誓って29歳で独立しました。今思えば本当に恥ずかしい話ですが、その時は10年後の自分や会社の姿がどんな価値を提供する企業となっているか、なんていうビジョンがくっきりと見えていたわけではなかです。そんなこともあって、創業間もなくは、とにかく「継続」への思いだけを持って、目の前にやってくる仕事をひたすらやり続けていました。
確かにぼんやりとしか見えてはいなかったのだけれども、不動産会社の経営者、特に仲介業界でよくあるパターンの将来像として「そうなるのだけは嫌だ」と思っていたイメージが一つだけあったそうです。それはパパママ不動産会社からものすごく努力をして会社を成長させ隆盛を極めていた先輩方が、なぜか60歳くらいになると結局パパママ不動産会社に戻ってしまう、という姿です。自分だって何のビジョンも理念もあったわけではなかったわけですが、そういう状況にだけはなりたくないと常に思っていました。自分なりになぜ先輩方はもう一度パパママ不動産会社に戻ってしまったのか、を考えた時、ただ単に「継続」することだけを考えるようことが単なる自己満足だ、とある時ふっと気づいたんです。

10年でようやく気づき、見えてきた方向性。根底は「異端児精神」

その気づきがより鮮明になってきたのは創業時に考えていた「10年」を超えた時でした。一つの業界で地域に密着して10年もやっているので当たり前かもしれませんが、仕事がやりやすくなり(集客一つとっても創業時のようにルールギリギリなことをしなくても集められるようになる)、漠然とでしたが「こうなったらいいな」、「こういう仕事ができていたらいいな」と思っていたことも、レベルはともかく実現している実感も持てた頃でした。
ここまで到達しても結局「この先の10年」が見えなくなったことに気づいたのです。そこからは「この先のクレイルをどうしよう」、それを本当に真剣に考えました。考える際にまずは「ここまでの自分」を振り返ってみました。その中で気づくことができた自分の強みは「異端児精神」でした。

創業は本当に何もないところからスタートしましたし、駅から自分の会社にたどり着くまでにはライバル会社がいっぱいひしめき、しかも差別化が難しい「あっせん、仲介」の仕事だから、「常に自分が注目されるにはどうすればいいか」を考えていた頃を思い出しました。細かすぎて恥ずかしいですが、例えば自社への誘導のための「のぼり」は少しでも高い位置に掲示するとか、本当にどんな小さなことでも「自社が目立つ」、「相手からどう見えるか」を徹底的に「見る側の目線」で考えていました。
こんなこともありました。創業した2000年当時、インターネットって何?という時代でした。当時は広告に回せるお金がなかったこともあり、ネット広告での集客をやり続けました。まぁ。これもある意味で異端児精神ですかね。当時は「そんなことで集客もできないし儲かるわけないじゃん」と周りの人から言われ続けていたほどで、誰もその効果に気づいていなかったと思います。おかげでネット広告用にどんどん物件も借りれたし、その結果、たとえば大手の不動産情報サイト上では生駒の80~90%がクレイルの物件で埋まる状態でした。ですから反響は独り占め状態。もちろん薄い反響も多かったけど、反響があること自体ありがたかったです。これは創業期のクレイルには本当に助かりました。数年経って、ネット集客が注目され始めると、今度は検索ワード争奪戦が起き始めましたが、その時も、ビッグワードではなく「学校区+賃貸」とか「**スーパー+賃貸」とか「**町賃貸」とか、今なら当たり前かもしれないスモールキーワードで徹底的に勝負しました。この時点でももちろんお金の問題もありましたが、自分が借り手だったらこういう探し方するよな、と思う「見る側の目線」で考え続けていました。

その後、建築事業に進出する時も不動産業として「異端児」でいたかったから、それ以前にやっていた分譲事業の延長として建築に携わるのではなく、請負を自分でできるようにするのだという決意で施工部隊も初めから持とうと思っていました。

さらにこの先の10年を考える。「クリエイティブマインド」

さすがに60歳でパパママ企業に戻ってしまうような規模や商品サービスラインアップは脱したと思うけれど、「次」を任せる人材の育成という課題を始目、まだまだやり切れていないこともたくさんあります。それをクリアしてゆくために今から60歳までの十数年を現状の事業の延長線上だけでやっていては、自身のモチベーションを保てるか自信が持てていないです。しかし、持てていないけれど、ぼんやりと視界に入ってきた自分自身を奮い立たせるキーワードは「クリエイティブ」です。作り上げたものを自分自身で壊して、また新たなチャレンジをし続けてゆく、これがこれからの自分、そしてクレイルのモチベーションエンジンとなると思います。

建築の事業を始めて知り合った仲間たちと国内だけでなく欧米を含めていろんなものを見聞し、たくさんインプットをしてきたことで、「創造」的な仕事をすごく意識するようになりました。もしも相変わらず不動産のあっせんや分譲開発だけをし続けていたら、こんな考え方や行動はできていなかったかもしれません。
最近、本当に偶然ですが、地元の市役所でまちづくりに携わる方が顧客になっていただきました。本当にこれもご縁です。役所とうまく連携して、「こうしたらこの場所がもっと良くなるのに」と自分が思うことを形にして行けるような、そういう地元にしたいですね。

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