住宅不動産業界 トップインタビュー〜住宅不動産業における優れた経営品質を追う〜

変革の時代を迎える住宅不動産産業界において、自社の持続的な成長を実現しながら地域社会に貢献する企業となるために、経営者はどのように考えどのような活動方針を持って経営に取り組むべきか。

住宅・不動産業界 人材戦略

大工が経営する工務店であり続ける 鳥取県・福山建築

大工が経営する工務店だからこその価値を発揮する
「経営力」を備えたからこそ出来る大工による工務店経営

福山建築
代表取締役社長 松本 晃一 様

福山建築は1959年4月に現会長である先代によって創業した会社です。松本社長は大工として先代に弟子入りし、その後年月を経て2011年4月に社長として福山建築の経営を引き継ぎました。引き継ごうとしていた当時は会社の商況も芳しくなく、相談に行った商工会の人からも止められるほどでしたが、建てた建物をずっと見守るという大工としての思いから「福山建築のお客様を裏切れない」と考え抜き、屋号と借金を継承しました。引き継いで1年目はがむしゃらに走りなんとか会社の経営状況も回復し本当の意味でスタートを切ったのは2012年になってからでした。
大工中心の工務店を作りたい、という新・創業(引き継いだ頃)の思いは何も変わっていないという松本社長。誠心誠意やって100%の顧客満足度にすることは当たり前。何かあっても福山建築を信用してくれたお客様を徹底的に守る、こう語る松本社長にお話を伺いました。

5人から始まった新生・福山建築。
大工一筋の自分が「経営を学び」、進化することができた

2012年。新・創業は6人のスタートでした。自分(松本社長)と経理をしていた姉、そして先代の頃から一緒に現場に出ていた大工さん4名でした。それが2017年末には当初から実に3倍の21名にもなってきました。
5年で急成長と言われるけど、本当に昔は精神論でとりあえずやるしかないという考え方でした。今思えば、ゴールのない大海をひたすら泳ぐ感じだった。でも今は自分に目標もありゴールが見えるし、社員に対してゴールを見せる。そしてもちろん社員にもゴールが見えていることが大事だと思っている。ゴールがわからないのにがむしゃらに泳ぐのはしんどい。
で、いろいろ決めたことの一つのゴールが、2019年の消費税増税前までに24棟体制にすることでした。それは社員にも明確になった。一旦ゴール設定すると目標に到達するために準備もするし、どうやればゴールにたどり着けば良いかもわかってきた。意地でもやる、という話じゃ無くなってきた。

進化の過程ではいろいろ変わったけど、一番変わったのは人材に投資するという考え方

最近、福山建築「下克上宣言」って社員には言っている。次は誰が社長かわわからないよと。ただ、福山建築を継承しようという熱い思いを持つ人が継承すべきだということは常々よく言っている。こういうことを言えるのも、いい人材に恵まれているからだと思う。5年間を振り返るとそもそも大工職人しかいなかった会社だったので、まず営業を入れ次に現場監督不在を解消して、もちろん大工も入れてと・・・いう具合に順々に入れていきました。
例えば、現場監督の女性は、大手でも年1-2棟なのに地元の大工集団である福山建築が年間5棟も6棟もSII(一般社団法人 環境共創イニシアチブ)のZEH補助金を採択していることに注目してくれていたらしく仲間になってくれた。このおかげで棟数が増えても対応できるようになった。次に入ったのが女性営業。電話会社の営業だったんだけどうちの営業マンから「この人と営業したい」と推薦があって、じゃあ採用しようか、となった。大工職人は職業訓練校から採用や人づての紹介から採用をした。こんな感じで、自社大工で4チームが組めて監督も3人になったことで年間24棟を受注して同時に5-6現場が走っても大丈夫になった。また、最近はもともと経理をしていた姉が宅建を取得したので不動産の部門を担当してと依頼している。まぁ、経理は第三者に見てもらうほうがいいとも思ったし。
こんな具合に地元での紹介や出会いを大事にしながら、いい人材と仕事ができる体制ができてきたから、さっきも言ったように福山建築「下克上宣言」が出せるようになったと思う。

でも変わらない、変えないことも。それは大工の工務店であること。

そもそも工務店と名乗る以上、工事を自社でできないというのがおかしいと自分は思っている。大きい会社のように営業だけして工事は全て外出しすればお客様の家をずっと守ることもできないし、それじゃあ地域密着でもない。
そうは言っても、実際は大工を抱えている工務店はこの鳥取中部地区でも実質3社しかいない。これは本当に深刻なこと。鳥取の震災後に職人の取り合いになっているけど、うちはこの5年で自社大工を揃えてきたからなんとか回せている。でも正直自社大工を揃えてこなかったら、やばかった。
あともう一つ問題だと思うのは60歳代の大工さんが多いことと、その反面50歳代以下の大工がほとんど育っていないこと。これもたまたまだけど、うちには67歳、53歳、42歳、そして32歳、さらにその下に20代の大工もいて、比較的大工の年齢層が若い。そういう構成にしておくと最年長の67歳の大工が持っている色んな引き出しを現場でちょいちょい出してくれ、それを見て若い大工の引き出しが増えていく。そんな具合に「若い大工に承継するか」ということができている。だからこれからも毎年2,3名は大工を入れようと思っている。

うちの32歳の棟梁はまだ4年目なんだけど、R+houseの現場を棟梁として4棟やった。これは本当に稀なことだと思う。普通なら現場を任せるのに7-8年はかかる。でもこれができたのは現場での技能承継をずっとしてきたから。また別の視点だけど、断熱リフォームも取り組み始めて改めて思ったのが、リフォームこそ墨付け・刻み・とこ仕事(書院とか和室を一人でできる)が全てできる大工がいる、ということ。新築だとプレカットの時代に入って「とこ仕事(書院とか和室を一人でできる)」が必要な現場はほぼないし、墨付け・刻みだって不要になってるけど、リフォームの現場では活躍の場面がまだまだある。だから大工は和室造作はやれるべきだって真剣に思っている。この間ドイツに行った時に、もう確実に新しい時代(「プレキャスト」の時代)になるっていう実感を改めて強く持ったけど、それでも自分は技能承継をしたい。すべきだと思う。

「大工中心の工務店」、「大工が経営する工務店」であり続けたい

大工中心の工務店であり続けたい、そういう工務店を作りたい、という新・創業(引き継いだ頃)の思いは何も変わっていない。もちろん食っていかないといけないけど、住宅を建てる仕事は儲けすぎてはいけない。誠心誠意やって、顧客満足度100%は当たり前で、万が一何かあっても福山建築を信用してくれたお客様を徹底的に守る。これが一番。そう思った時、自分や福山建築にしかできないことって何だろうって最近よく考えるようになった。

例えば、大工の日当がどんどん下がってきているという問題。22歳から大工一筋でやってきた自分が一人前になったと自分でも思えるようになったある時、具体的には言えないけどちょっと納得できないレベルの日当を提示されたことがあった。大工は道具も自前、車も交通費も自前、保険もない。もちろん退職金もない。こんな環境・境遇でその水準はどういうことかと思った。
だから、うちでは職人の待遇改善を相当やっているつもり。現場監督、大工の評価プログラムを作って実際にやり始めている。例えば、弟子入り初任給が8000円としたら、大工職人の腕前として10項目を出して、一つ一つの項目について800円/項として、熟練して10項目全て良い腕だとなればプラス8000円、日当16000円の大工になる。金額はあくまで例えだけど、こうやって職人の待遇の底上げをしたい。設計単価で大工日当をもっと取っていいぞ、と声を大にして言いたい。自社案件をやりながら、貸して欲しいと言ってくる会社には貸してもいい。ただしそのときはちゃんと腕間を評価して日当が付いているから安く使われることにはならないようにする。

大工工務店が地域に貢献する

地元倉吉市の人口は5万人を切った。島根県と倉吉市が老人の移住計画に手を挙げたが、雇用を創出するようなまちづくりに関わりたいと最近考えている。自分ができることは、暖かくて電気代かからないという暮らしを体験させ、それは普通のことなんだと体感させる、そういう住宅を造ること。もちろん住宅だけじゃなく老人施設や保育園もそう。そういうことを通じて貢献したい。実は、倉吉の隣町の北栄町は風車の町として自家発電を町で経営している有名な町。そんな町で風車と水力と太陽光を使ってエネルギーゼロで暮らせる住宅街を造るといったことはやってみたい。

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